「週刊みつのり」

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【ソーシャルアパートメントの暮らし紹介】ひとりになるまで徒歩10秒。“ひとりじゃない”まで徒歩10秒

ひとり暮らしには「おはよう」がない。

 

ある朝、実家で目を覚ました僕はその日常を想像して、心臓がえぐられるような痛みを感じた。

 

思えば、秘かに悩みはじめたのはそこからだった。

どうすれば実家から引っ越しつつ、「おはよう」のない孤独を避けることができるのか、毎夜マジメに思いふけった。

 

実家暮らしには何の文句もなかったが、ある日ふと、そんな自分に違和感を覚えた。

当時の僕は快適な暮らしの中で毎日すこしずつ増える貯金残高を見て、「今日も大丈夫」と安心していた。

僕はこのまま60歳になる。待ち受ける未来をを想像して、言い表せない恐怖に怯えてしまったのだ。

 

何でもいい。けど、何か変えないと。

きっと僕を突き動かした想いは、同世代の誰もが持つジレンマに過ぎないだろう。でも、だからこそ必死だった。

 

ある日、転職が決まったことをきっかけに、25歳の僕は単身、シェアハウスに飛び込んだ。

 

 

 

正確には、僕が住んでいるのは「ソーシャルアパートメント」。

運営会社の社長はシェアハウスと差別化した暮らしの新しい定義を打ち出し、今では全国で「ソーシャルアパートメント」60棟以上を展開している。

物件は社長が学生時代にイギリスで一軒家を間借りした経験が原体験となって造られていて、最近、20代前後の若い世代を中心に支持を得ている。

 

実際の暮らしは寮に近いモノだと理解すれば想像しやすいかもしれない。

入居者にはきちんと壁で遮られたひとり部屋があてがわれる。部屋に水回りは一切なく、自分の部屋からドアを開いた先はすべて共用スペース。洗面台やお風呂・シャワー、洗濯機、キッチンやリビングなどはすべて共有資産だ。

この大きな集合住宅は空から建物を見下ろすとL字型になっていて、50人超がひとつ屋根の下で入居している。

 

 

 

 

 

ソーシャルアパートメントの住人は主に働き盛りの20代30代で、20代後半がボリュームゾーンだ。

 

同窓会で顔を合わせた同級生がそれぞれの人生を歩んでいるように、同世代は想像以上にいろんなことをしている。

共有のテレワークスペースに大きなモニターをいくつも並べて一日中ずっとキーボードをカタカタ鳴らし続ける人もいれば、夜更けの日付も変わろうかという頃に「ただいまー」と声をあげる人もいる。つい先日は、Web会議でこってり絞られたお兄さんがふらっとリビングに降りてきて、求職中のお姉ちゃんと建物に備え付けのビリヤードで盛り上がっていた。二人とも、ビリヤードは覚えて3日目とかだけど。

 

特に食事どきのリビングは賑わう。

オープンキッチンがあるから誰が何を作っているかある程度わかるし、顔を合わせるから自然と会話が生まれる。50人もいれば誰かが料理をしているから、その誰かが料理を終えたときは暗黙のチャンスタイムだ。

おこぼれ飯にあずかれれば、それだけで3日くらいは飢えをしのぐことだってできる。(本当にそういう人もいる)

 

シェアハウスは多くの設備を共用するから、コスト面も申し分ない。

フライパンをはじめ、包丁やまな板、トースター、電気ケトルや電子レンジ、ほか口につけるものを除く食器類は住人でシェアしている。

自分が使ったものは他の人が使う前に洗って戻すのが基本マナーで、食事時には「キッチンいつになったら空きそう?」「洗い物やっとこうか?」なんて持ちつ持たれつの日常会話が起きている。

 

 

50人が住んでいると、ゆるやかな連帯がいくつか生まれる。

会費制で新鮮なコーヒー豆を共有する通称「カフェ部」。

毎週金曜夜の20時から映画を観る「映画部」。

朝活と題して、日曜の朝7時30分に眠い目をこすりながら食材を持ち寄り、朝ごはんを食べる「Morning Club」。

 

これらは誰の強制でもない。たまたま徒歩10秒の距離に住んでいる大人と大人が、それぞれの人生の通り道で出会い、共通の趣味を持っただけのことだ。

 

ここの生活で必要なのは世の中と何ら変わらない。

モラル、ギブアンドテイクの精神、それにほんのすこしの勇気である。

 

 

 

 

 

ただ、ひとりじゃない毎日というのは、気づかないうちにストレスがたまっているらしい。

それまでは楽しかったのに、ふとリビングから聞こえる笑い声に、近づきがたい気持ちになることがある。あいさつがおっくうになることもあるし、みんながわいわい話している中で、自分の発言のひとつひとつを後悔するときだってある。

 

もちろん全員が全員と親友になれるわけじゃない。

人間関係の軋みも起きるだろうし、互いが互いを思いやるがゆえに溜まっていく不満のスタンプカードが、いつか満タンになることもあるだろう。

 

 

だから僕は時々、部屋でぼーっと本を読んでいる。他にも、ラジオを流しながらシャツにアイロンをかけたり、駅前の花屋で誰にも見られないようにひまわりを買い、部屋に飾ってぼーっと見たりする。

 

自分だけの逃げ場があるのがシェアハウスとの決定的な違いだ。

ソーシャルアパートメントは「“ひとり”になるまで徒歩10秒。“ひとりじゃない”まで徒歩10秒。」

 

答えはシンプル。心の充電を使い切ってひとりになりたくなったら、部屋のドアを閉じればいい。

 

 

なお、もし僕がここでの暮らしに一つだけアドバイスをするなら「部屋のカギはかけておけ」に尽きる。

部屋のドアは号室が違うだけでそっくりだからアクシデントはつきものだし、ノリのいい時には互いの部屋の鑑賞会、通称ルームツアーなんてイベントが発生する。カギをかけることは、最大の防御にもなるし、時には武器にもなる。

 

重ねて伝えると、ソーシャルアパートメントでの暮らしのコツは、ドアを閉めただけで油断せず、シリンダーを横にひねることだ。簡単に聞こえるけど、これが結構難しい。寝顔をルームメイトに押さえられた被害者がこれ以上出ないように、僕はあなたに最大限の忠告をしておきたい。

 

いずれにしても、ここは一人で部屋にこもったっていいし、リビングに居座っても良いし、誰かの部屋を訪問してもいい。遠くの家族や友人に会えなくたって、少なくともここには50人の「友達以上・家族未満」の他人がいる。

 

 

 

夕方、「カフェ部」の会員である僕は、共用のリビングで新鮮な豆を挽いて淹れたてのコーヒーに口をつけていた。窓の外の夕日を眺めていると、ふと高校の同窓会の映像が頭をよぎる。

 

10年ぶりに会った同窓生たちは昔の面影を残しながら、みな僕の知らないところで一生懸命にそれぞれの人生を進めていた。あの青春はもう10年も前だけど、レギュラー争いでいがみ合った奴らも、片想いして振られた可憐な女の子も、僕と同様に知らないところでそれぞれの人生を生きている。

 

ここもいつかそういう場になるのかもしれない。

僕は気づかないうちに、それぞれが想いを抱えながら、ほんのひと時だけいっしょの時間を過ごせる場所―あの奇跡の場所に―戻ってきたのだろうか。いや、辿りついたのかな。

 

そんな予兆を微かに感じながら、すっかり冷めたコーヒーを飲みきって、

僕はマグカップを洗いに席を立った。