「週刊みつのり」

本の編集者の生活を身の回りの方に伝えるメルマガ

「名前のなかった気持ち」

「それって好きなんじゃないのー?」小学校からの帰り道、クラスメイトのからかい口調を、僕は今でもよく覚えている。

当時9歳だった僕は、友達からの何気ない一言にとても驚いた。
別に何が衝撃だったわけではない。ただあっけにとられていたのは、友達の冗談じみたトーンとは裏腹、自分が想像以上に真顔になっていたことだった。
まだ整理ができなかった感情に、新しく名前がついた瞬間だったのだろう。

 

片想いが叶わないことを受け入れられない時期もあった。

中学生の頃、クラスのマドンナに一目惚れした。

本当に単純にかわいくて、大して話もしていないのに好きになってしまった。
抑えようとするほど大きくなる気持ちに何やら運命を感じてしまい、そこから2年近く、ぼーっと想いを寄せていた。

 

ある時自分の気持ちがピークに達した。

勢いそのまま思い切って告白したら、少し日にちをおいた後、人通りのない廊下に呼び出されて、しっかり断られた。

 

ひどいことに当時は運命を感じていたから、自分の気持ちが届かないことをなかなか理解できなかった。やめておけばいいのに、修学旅行先でお守りを買って渡したり、文房具屋に便せんを買いに行って、シャープペンで手紙を書いたりした。

 

合計4回、お決まりのように丁寧に断られた。

徐々に学年の恒例行事になってきてからも、毎回呆れずに相手にしてくれたあの子には今でも頭が上がらない。
ただ僕も能天気なもので、困ったようにはにかむ相手の笑顔を見て、「かわいいな」と思っていた。(大変すみませんでした)

 

「あの頃の恋に戻れるか?」と聞かれたら、答えはノーである。
大人はもう、あれほど素直に恋はできない。

夢は現実となって牙を剥く。
人生を少し知りすぎた今は、どれが本当の恋かわからない。

 

ただ、あの頃の気持ちを知っているからこそ、僕らはまた人を好きになれる。
心の中の9歳や13歳、17歳や21歳は、普段はなりを潜めているけれど、僕の中にはちゃんと積み上がっていて、時折こっそり見え隠れする。

 

「好き」の気持ちは、思い返しても顔が熱くなるくらい、素直でもろくて真っすぐだ。
何の事情もないあの頃の、無垢で純粋で、ごまかしの効かない本当の気持ちは、ぼーっとしていると時々忘れてしまいそうになる。

 

不器用でもいいから、たまには顔を見せてくれないかな。
お守りでも買って、持ってきてくれてもいいよ。
あの頃の“涼しい顔で繕った熱い気持ち”を、大人の僕に思い出させてほしい。

 

『この世で一番大きい”影”』

「この地球上で一番大きい“影”はなんでしょう?」

よくあるなぞなぞだと思っていたら、どうやらそうではないらしい。

 

悔しいがわからない。大きい建物か。

いや地球上と描かれているから、自然がらみで考えよう。するとエベレストの影、グランドキャニオンの向こう側、はたまた深海だろうか。

ふっと答えがひらめいたのは、それから1週間してからだった。

 

「果報は寝て待て」とはよく言ったもので、時間が経つとモノの見方が自然と変わることがある。

失くした財布が意外なところから出てきたり、気づけば日が落ちるのが遅くなっていたり、それまで気づいていなかった壁のキズを見つけてしまったりする。

果報に限らず、時間を置くことには一定効果があるのだろう。

 

ただ、果報は寝るだけではなく、悩み抜いても来る。

2年半。僕の悩み続けたあることが、解決するまでに要した時間だ。

 

「自分が何をしたいのかわからない」新卒入社してから毎日のように悩んだ。

心理学では、人のストレスは「自分がどっちに向かっているのかわからないとき」に最大化するという。

なるほど確かに、と思いながら、頭の右上あたりにごわごわと残る黒い影と戦った。

影は仕事でも休みでも、飲み屋で騒いでいてもお構いなしに、僕を見えないところへ引っ張ろうとする。

 

抵抗した。

ノートに思いのたけを書き起こす。

やりたいことは絶対にやる。

スマホのメモに不満を全部ぶちまける。

そうやって自分を確認しないと、やられてしまう気がした。

 

ある日の夜の帰り道、ギリギリの戦いに勝利した。

堅固としてブレない答えが一瞬で築かれる感覚。

2年半の長い長い構想を経て一夜にして書きあがった僕の図面は、まるで不落の城砦のように、今でも僕を守ってくれている。

 

寝てもいいが、苦闘してもいい。

真珠が時間をかけて光り輝くように、やっと導き出した答えは価値があるはずだ。

 

ちなみに、冒頭のクイズの答えは、「夜」

明けない夜はないように、いつか影に勝てる時がくる。

『料理の名人』

山月記』で名高い中島敦の作品のうちの一つに名人伝がある。

主人公の男、紀昌(きしょう)が弓の道を究めんとして厳しい鍛錬を積み、当代随一の弓の名手になる話だ。

 

この話の要諦は、国で一番の実力を得た彼が、弓を打たずに鳥を射る奥義「不射の射」(ふしゃのしゃ)の存在を知る場面だ。

山奥の仙人に、「弓を打っているうちはまだ弓の名手ではない」

摩訶不思議なことを説かれたとき、紀昌は自らに何を思っただろうか。

 

シェアハウスには料理の名人が集う。

パスタを極めるもの、炒め物に創意工夫を凝らすもの、シェアメイトのために誕生日ケーキを仕上げるものなど、共有のキッチンにはそれぞれのキャラクターとストーリーがある。みな、シェアメイトに幸せを運ぶ名人たちだ。

誰かに作ってあげた・作ってもらった料理の美味しさの秘訣は、単に腕の巧拙だけでないだろう。

 

本来、われわれ動物に料理は必須ではない。

さすがに火は通した方が良いだろうが、仮に飢えたら最悪木の実をかじって食べてもいいし、今の時代、サプリメントや完全栄養食もそこかしこで売っている。

生きていくだけなら食事を省く方策はいくらでも思いつく。

 

それでもやはり味気ないのか、書店には今日も料理雑誌が並び、テレビには3分クッキングが流れている。

事実、冷凍食品やお総菜など、手間をかけずに済む料理は、ついつい量を食べ過ぎてしまって、かえって過食になるそうだ。

「お手軽な代わりに食事に満足感を得づらい」という研究結果を見かけたときには「人ってなんてめんどくさくて、愛おしいんだ」とほくそ笑んだものである。

 

世界中の家庭の誰かが、今日もおなかをすかせた誰かに料理をふるまっている。

人が料理に感じる価値は、「単なる食材の組み合わせ」を超えた、大切な誰かへの代えがたい気持ちだろう。

 

僕は将来、自分の大切な人と一緒に料理をしたい。

お互いを存分にもてなす何十年は、贅沢な時間になるはずだ。

 

そしていつか歳をとったら、ゆくゆくは料理を作れなくなってしまうだろう。

どうにかそれまでに、料理版「不射の射」の名人になりたい。

料理が作れなくなったとしても、大切な気持ちをそのままに伝えたい人がいる。

【エッセイ】皮肉もそこまで悪くない

空回りしてかえって目的と違う結果を招いてしまうことを「皮肉」と言う。

どこにでもいるマジメな中学生だった僕は、
とにかくモテたくて背伸びばかりしていた。

授業が退屈なときはこっそり意中の女子の顔色をうかがっていたし、
夏の球技大会では女子の応援を集めたくて、やたら目立つプレーを意識していた。

定番の「授業で寝たふり」も何回かトライした。
忘れられないのは中1の冬。
女子へのアピールに一生懸命な僕に、
「寝たふりはやめなさい」なんてデリカシーのかけらもない注意を飛ばした教師がいた。
ただの寝たふりじゃねえよ、今すっごい大事な時なんだよ!!


それから3年を過ごしたある日の夕方、
ほとんど話したことのない女の子から、突然メールで告白された。

卒業の迫る2月、喜びよりも驚きが勝った当時の僕は、マフラーに顔をうずめるのが精一杯。
メールには二つ折りの画面いっぱいにクマやお花の絵文字が入っていて、一番下にはこう書かれていた。

「どんなときも人にやさしくて、気さくに話しかけてくれるあなたが好きです」


自分の淡い空回りも、知らない誰かの冬のワンシーンになっている。

当時は余裕がなかった。

けれど、時間が経った今になって思い返すと、
「皮肉」も案外、悪くないのかもしれない。

【ソーシャルアパートメントの暮らし紹介】ひとりになるまで徒歩10秒。“ひとりじゃない”まで徒歩10秒

ひとり暮らしには「おはよう」がない。

 

ある朝、実家で目を覚ました僕はその日常を想像して、心臓がえぐられるような痛みを感じた。

 

思えば、秘かに悩みはじめたのはそこからだった。

どうすれば実家から引っ越しつつ、「おはよう」のない孤独を避けることができるのか、毎夜マジメに思いふけった。

 

実家暮らしには何の文句もなかったが、ある日ふと、そんな自分に違和感を覚えた。

当時の僕は快適な暮らしの中で毎日すこしずつ増える貯金残高を見て、「今日も大丈夫」と安心していた。

僕はこのまま60歳になる。待ち受ける未来をを想像して、言い表せない恐怖に怯えてしまったのだ。

 

何でもいい。けど、何か変えないと。

きっと僕を突き動かした想いは、同世代の誰もが持つジレンマに過ぎないだろう。でも、だからこそ必死だった。

 

ある日、転職が決まったことをきっかけに、25歳の僕は単身、シェアハウスに飛び込んだ。

 

 

 

正確には、僕が住んでいるのは「ソーシャルアパートメント」。

運営会社の社長はシェアハウスと差別化した暮らしの新しい定義を打ち出し、今では全国で「ソーシャルアパートメント」60棟以上を展開している。

物件は社長が学生時代にイギリスで一軒家を間借りした経験が原体験となって造られていて、最近、20代前後の若い世代を中心に支持を得ている。

 

実際の暮らしは寮に近いモノだと理解すれば想像しやすいかもしれない。

入居者にはきちんと壁で遮られたひとり部屋があてがわれる。部屋に水回りは一切なく、自分の部屋からドアを開いた先はすべて共用スペース。洗面台やお風呂・シャワー、洗濯機、キッチンやリビングなどはすべて共有資産だ。

この大きな集合住宅は空から建物を見下ろすとL字型になっていて、50人超がひとつ屋根の下で入居している。

 

 

 

 

 

ソーシャルアパートメントの住人は主に働き盛りの20代30代で、20代後半がボリュームゾーンだ。

 

同窓会で顔を合わせた同級生がそれぞれの人生を歩んでいるように、同世代は想像以上にいろんなことをしている。

共有のテレワークスペースに大きなモニターをいくつも並べて一日中ずっとキーボードをカタカタ鳴らし続ける人もいれば、夜更けの日付も変わろうかという頃に「ただいまー」と声をあげる人もいる。つい先日は、Web会議でこってり絞られたお兄さんがふらっとリビングに降りてきて、求職中のお姉ちゃんと建物に備え付けのビリヤードで盛り上がっていた。二人とも、ビリヤードは覚えて3日目とかだけど。

 

特に食事どきのリビングは賑わう。

オープンキッチンがあるから誰が何を作っているかある程度わかるし、顔を合わせるから自然と会話が生まれる。50人もいれば誰かが料理をしているから、その誰かが料理を終えたときは暗黙のチャンスタイムだ。

おこぼれ飯にあずかれれば、それだけで3日くらいは飢えをしのぐことだってできる。(本当にそういう人もいる)

 

シェアハウスは多くの設備を共用するから、コスト面も申し分ない。

フライパンをはじめ、包丁やまな板、トースター、電気ケトルや電子レンジ、ほか口につけるものを除く食器類は住人でシェアしている。

自分が使ったものは他の人が使う前に洗って戻すのが基本マナーで、食事時には「キッチンいつになったら空きそう?」「洗い物やっとこうか?」なんて持ちつ持たれつの日常会話が起きている。

 

 

50人が住んでいると、ゆるやかな連帯がいくつか生まれる。

会費制で新鮮なコーヒー豆を共有する通称「カフェ部」。

毎週金曜夜の20時から映画を観る「映画部」。

朝活と題して、日曜の朝7時30分に眠い目をこすりながら食材を持ち寄り、朝ごはんを食べる「Morning Club」。

 

これらは誰の強制でもない。たまたま徒歩10秒の距離に住んでいる大人と大人が、それぞれの人生の通り道で出会い、共通の趣味を持っただけのことだ。

 

ここの生活で必要なのは世の中と何ら変わらない。

モラル、ギブアンドテイクの精神、それにほんのすこしの勇気である。

 

 

 

 

 

ただ、ひとりじゃない毎日というのは、気づかないうちにストレスがたまっているらしい。

それまでは楽しかったのに、ふとリビングから聞こえる笑い声に、近づきがたい気持ちになることがある。あいさつがおっくうになることもあるし、みんながわいわい話している中で、自分の発言のひとつひとつを後悔するときだってある。

 

もちろん全員が全員と親友になれるわけじゃない。

人間関係の軋みも起きるだろうし、互いが互いを思いやるがゆえに溜まっていく不満のスタンプカードが、いつか満タンになることもあるだろう。

 

 

だから僕は時々、部屋でぼーっと本を読んでいる。他にも、ラジオを流しながらシャツにアイロンをかけたり、駅前の花屋で誰にも見られないようにひまわりを買い、部屋に飾ってぼーっと見たりする。

 

自分だけの逃げ場があるのがシェアハウスとの決定的な違いだ。

ソーシャルアパートメントは「“ひとり”になるまで徒歩10秒。“ひとりじゃない”まで徒歩10秒。」

 

答えはシンプル。心の充電を使い切ってひとりになりたくなったら、部屋のドアを閉じればいい。

 

 

なお、もし僕がここでの暮らしに一つだけアドバイスをするなら「部屋のカギはかけておけ」に尽きる。

部屋のドアは号室が違うだけでそっくりだからアクシデントはつきものだし、ノリのいい時には互いの部屋の鑑賞会、通称ルームツアーなんてイベントが発生する。カギをかけることは、最大の防御にもなるし、時には武器にもなる。

 

重ねて伝えると、ソーシャルアパートメントでの暮らしのコツは、ドアを閉めただけで油断せず、シリンダーを横にひねることだ。簡単に聞こえるけど、これが結構難しい。寝顔をルームメイトに押さえられた被害者がこれ以上出ないように、僕はあなたに最大限の忠告をしておきたい。

 

いずれにしても、ここは一人で部屋にこもったっていいし、リビングに居座っても良いし、誰かの部屋を訪問してもいい。遠くの家族や友人に会えなくたって、少なくともここには50人の「友達以上・家族未満」の他人がいる。

 

 

 

夕方、「カフェ部」の会員である僕は、共用のリビングで新鮮な豆を挽いて淹れたてのコーヒーに口をつけていた。窓の外の夕日を眺めていると、ふと高校の同窓会の映像が頭をよぎる。

 

10年ぶりに会った同窓生たちは昔の面影を残しながら、みな僕の知らないところで一生懸命にそれぞれの人生を進めていた。あの青春はもう10年も前だけど、レギュラー争いでいがみ合った奴らも、片想いして振られた可憐な女の子も、僕と同様に知らないところでそれぞれの人生を生きている。

 

ここもいつかそういう場になるのかもしれない。

僕は気づかないうちに、それぞれが想いを抱えながら、ほんのひと時だけいっしょの時間を過ごせる場所―あの奇跡の場所に―戻ってきたのだろうか。いや、辿りついたのかな。

 

そんな予兆を微かに感じながら、すっかり冷めたコーヒーを飲みきって、

僕はマグカップを洗いに席を立った。