「週刊みつのり」

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『料理の名人』

山月記』で名高い中島敦の作品のうちの一つに名人伝がある。

主人公の男、紀昌(きしょう)が弓の道を究めんとして厳しい鍛錬を積み、当代随一の弓の名手になる話だ。

 

この話の要諦は、国で一番の実力を得た彼が、弓を打たずに鳥を射る奥義「不射の射」(ふしゃのしゃ)の存在を知る場面だ。

山奥の仙人に、「弓を打っているうちはまだ弓の名手ではない」

摩訶不思議なことを説かれたとき、紀昌は自らに何を思っただろうか。

 

シェアハウスには料理の名人が集う。

パスタを極めるもの、炒め物に創意工夫を凝らすもの、シェアメイトのために誕生日ケーキを仕上げるものなど、共有のキッチンにはそれぞれのキャラクターとストーリーがある。みな、シェアメイトに幸せを運ぶ名人たちだ。

誰かに作ってあげた・作ってもらった料理の美味しさの秘訣は、単に腕の巧拙だけでないだろう。

 

本来、われわれ動物に料理は必須ではない。

さすがに火は通した方が良いだろうが、仮に飢えたら最悪木の実をかじって食べてもいいし、今の時代、サプリメントや完全栄養食もそこかしこで売っている。

生きていくだけなら食事を省く方策はいくらでも思いつく。

 

それでもやはり味気ないのか、書店には今日も料理雑誌が並び、テレビには3分クッキングが流れている。

事実、冷凍食品やお総菜など、手間をかけずに済む料理は、ついつい量を食べ過ぎてしまって、かえって過食になるそうだ。

「お手軽な代わりに食事に満足感を得づらい」という研究結果を見かけたときには「人ってなんてめんどくさくて、愛おしいんだ」とほくそ笑んだものである。

 

世界中の家庭の誰かが、今日もおなかをすかせた誰かに料理をふるまっている。

人が料理に感じる価値は、「単なる食材の組み合わせ」を超えた、大切な誰かへの代えがたい気持ちだろう。

 

僕は将来、自分の大切な人と一緒に料理をしたい。

お互いを存分にもてなす何十年は、贅沢な時間になるはずだ。

 

そしていつか歳をとったら、ゆくゆくは料理を作れなくなってしまうだろう。

どうにかそれまでに、料理版「不射の射」の名人になりたい。

料理が作れなくなったとしても、大切な気持ちをそのままに伝えたい人がいる。